【演奏動画 バッハ インヴェンション第11番】

バッハ インヴェンションシリーズ 

 今日は第11番 ト短調をお届けします。

こちらのシリーズも今日を入れて

あと残すところ5曲となってまいりました。。


J.S.BACH 

INVENTION No,11 g-moll 

PIANO

MIYUKI KODAMA


バッハ 

インヴェンション 第11番 ト短調 

演奏 こだま美由希

第11番

第5番、第9番と似て

冒頭、右手のテーマを左手の対位句が支える形で始まる。

2小節のテーマに3小節目、3拍めまでのような追加句。

半音階的に動く主題はバッハならでは。。

第2部は11小節目からと考えてよかろう。


ヨハン・セバスチャン・バッハさん

1685年に中部ドイツのアイゼナッハに生まれる。

ヘンデルの生地ハレからは東西に約140キロのところに位置する。


バッハさんのお家は、代々音楽家であった。

幼い頃から質の良い音楽に触れて育ったといえる。


しかし、9歳でご両親を亡くし、その後は長兄さんから

ヴァイオリン、ハープシコード、オルガンなどを教えてもらう。


1700年には、ハンブルクの南、リューネブルクの教会付属学校の給費生となり

多少、ここで音楽教育を受けたらしい。


逸話に、10代半ばのバッハ君

当時ハンブルクで活躍していたラインケンのオルガン演奏を聴くため

リューネブルクから50キロの道のりを歩いて行ったというから

かなりの辛抱人というか、行動力というか・・

そういう地道な努力をして、いろんなことを吸収したから

今日まで多くの人から愛される曲、練習し続ける曲を

生み出したのでしょうね!


その後、アルンシュタットの教会オルガニストのときも

当時オルガニストとしてドイツで名を馳せていた

ブクステフーデの演奏を聴くために

バルト海に面したリューベックまで出向いている。

その頃、リューベックはハンザ自由都市でもあった。

そのアルンシュタットとリューベックは400キロもある。

当時、400キロも移動するという、演奏を聴くために・・

これはもう、勤勉家としかいいようがない。


バッハは生地界隈からさほど大きく飛び出すことなく過ごしているが

こういう行動力から当時のヨーロッパの様々な新しい音楽を吸収して

自分の作品に生かしていったのでしょう!


才能も人よりずば抜けていたのは確かですが

やはりこういう見えない努力があるからこそ

才能がより一層開花、輝くということがよくわかりますね。。

こだま美由希ピアノ教室・広島市中区

広島市中区にてピアノ教室主宰。ドイツ国立デトモルト音楽大学卒業、ドイツ留学中、ドイツ・イタリアにて演奏活動、広島交響楽団と共演等。音色から情熱と愛を紡ぎだすピアニスト&指導者。 英才教育の一環として子供にピアノや絶対音感を活かせるジュニアクラスや初心者の大人でも基礎から楽しく学び、趣味としてピアノ演奏を学び人生が彩豊かになる道をレクチャーしています。テクニック・こころ・思考力の3つの法則が柱。

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